「何を考えているのかわからない人」と思われないために・・・〈感情〉は、上手に表に出す方が良い

好きな生き方

みなさん、こんにちは。いろはです。

みなさんの周りに、「何を考えているのかわからない人」っていませんか?

このような人は、たぶん自分では気づいてないでしょうが、かなり損をしている人です。

今回は、自分の感情表現をどうするか、について考察していきます。

1、感情表現の大切さ

1、感情を押し殺すと損をする

世の中を生きていくには、自分の感情を押し殺して黙っていては損をしますね。

ある程度、感情を表現したほうが生きやすいのです。

つまり、感情表現をしていく方が、周囲の人と友好な関係を築きやすいということですね。

たとえば、次のような場合です。

家に招かれたときに、「コーヒーにしますか。それとも紅茶にしますか?」と聞かれたとします。

そこですかさず「コーヒー(紅茶)をお願いします」と言える人はいいのです。

それを、ただニコニコして、相手にお任せするのは損をします。

なぜなら、相手に気を使わせるからです。

本当に、コーヒーでも紅茶でもどちらでもよいのでしたら、「どちらも好きですので、お任せします」と言えばよいのです。

それを言葉をにごしてモジモジしているだけでは、相手に心理的な出費をかけることになります。

相手としては、どちらにしたものかと、推論しなければいけなくなってしまいますから。

だから、ちょっとしたことでも、自分の気持ちを伝えるようにする方が良いと思うのです。

2、自分の主体性が失われる

自分の感情を表出しないということは、相手の人が疲れるだけではありません。

何よりも自分自身が損をするのです。

何かのイベントやパーティなどの集まりに誘われたとします。

その時に、本当は自分は行きたいのか行きたくないのか、自分の気持ちがはっきりしないとしたら、どうでしょう。

その場合は、何となく周囲に流されてしまって、その集まりに主体的に参加できなくなる可能性があります。

そこで、実際に行くかどうかはともかく、自分がどう感じているかをはっきりと知っておくことが大切なのです。

自分の感情を理解しておけば、たとえ行きたくないパーティーに参加するとしても、主体的に参加することが出来るのです。

パーティーの最中に、人から何かを言われたとき、どういう態度をすればよいかを迷うことが少なくなってきます。

つまり、感情を押し殺していては、自分の態度に主体性が無くなってしまう、ということです。

というように、自分の感情や気持ちをきちんと認識して、その感情と相談しながら行動することが大切ですね。

2、自分の感情を認識すること

1、甘え心はいけないのか?

私たちは、よく「感情的になってはいけない」「感情を顔に出すな」なんて言われることがあります。

ですが、それが行きすぎになると、自分がどんな感情を持っているのかをきちんと認識するのをためらうようになってしまいます。

実際に、自分の感情を表現するか、しないかは別問題です。

まず自分が今、どういう気持ちを感じているのか、ということを意識することが、大切なのです。

若い人が社会人になる過程で、甘え心を出すまい、として無理をしている人がいますね。

その子(人)は、周囲から、「手のかからない子」とみられたり、「しっかり者」とみられたりします。

でも、自分の気持ちを押し殺していると、無理が生じてくるのですね。

2、一人称を、どうするか

ちょっと話がそれるかもしれませんが、この「しっかり者」ということについて、考えてみたいと思います。

たとえば、一人称をどの言葉を使うかということです。

ここでは男性の場合の一人称について考えてみます。

一般に、大勢の人の前で話すときや、正式な文書に残る場合などは、自分のことを「私(わたし、わたくし)」と表現します。

でも、近しい仲やプライベートの会話では、「僕(ぼく)」や「俺(おれ)」という人がかなり増えてきます。

このことは、その人の年齢にもよって違ってくるでしょう。

年をとればとるほど、プライベートの会話でも「わたし」が増えてくる傾向にあります。

ある程度、年齢がいってから出会った仲でしたら、親しくなっても、「わたし」を続けるかもしれません。

でも、まだ年齢が若い人の場合はどうでしょうか?

3、そのとき感じた“違和感”

先日、私が体験したひとつの例をお話します。

私は、ある20代の男性と話す機会が時々あります。

この人は、日常的に話すときも、自分のことを「わたし」といいます。

この人は男性というよりも、どちらかと言えば、まだ男の子といった雰囲気の人です。

「ぼく」と言えばよいのに、「わたし」というから、なんとなくその雰囲気との違和感を感じたのですね。

もちろん人それぞれ個性がありますし、雰囲気も違います。

自分のことをどう言おうが、他人がどうのという問題ではないかもしれません。

けれども、この人が自分のことを「ぼく」と言わずに、「わたし」と言うのに、違和感を感じたのが、私の素直な感情でした。

「あぁ、この子は少し背伸びしているかな?」と思ったのです。

「ぼく」といえば、もっと親しみも感じるのにな、と思うのですね。

このことは、女性の場合には、年齢に関係なく「私(わたし)」でいいので、あまり問題にはなりません。

もっとも、女性の場合でも、大勢の人の前で「あたい」なんて言おうものなら、首をかしげたくなりますが。(笑)

3、上手な感情表現ができる人が、成熟した大人

1、誰もが持つ〈子ども心〉

どんな大人でも、〈子ども心〉を持っています。

じつはこの〈こども心〉が創造力(クリエイティビティー)の源泉なのです。

〈子ども心〉がある以上、人間はいくつになっても褒められたらうれしいし、仲間はずれにされるといやな気持になります。

そうした実際の気持ちを無視して、「怒ってはいけない」「甘えてはいけない」と考えるのは無理があります。

そもそも、「怒れない人間」「甘えられない人間」というのは、魅力に乏しいでしょ。

TVドラマや映画のキャラクターでも、感情表現があるから、見ていて楽しいし人気があるのですよね。

もちろん、何でもかんでも感情をあらわにすれば良いわけではありません。

時と場合によって、黙っておく方が良い場合だってたくさんあります。

つまり、「上手な怒り方」、「上手な甘え方」を工夫することが出来る人が、大人であり、魅力ある人だということなのです。

2、感情を表現すると、嫌われるのだろうか?

自分の気持ちや感情がわかっていたとして、それを表現することにためらう人がいます。

その人は、「感情を出すと人に嫌われるかもしれない」

という気持ちがあるのかもしれませんね。

こうした考え方は、修正する方が良いと思うのです。

なぜならば、感情を表現しなければ、本心がわかってもらえなくなるからです。

すると、そのために親密な交際になる機会を失ってしまうからです。

先にあげた「コーヒーにするか、紅茶にするか」の例のように、ちょっとした会話でも、自分の気持ちをさりげなく伝える方が良い。

その方がお互いが楽になのです。

意図的に人を害するのでなければ、なるべく自分の気持ちや感情に忠実に生きる方が、楽しく生きることが出来るでしょう。

今日は、自分の感情表現について、考えてみました。

みなさんも、上手な感情表現をして、豊かな生き方を楽しみましょう。

4、まとめ

・世の中を生きていくには、自分の感情を押し殺して黙っていては損をする

・自分の感情を表出しないということは、相手の人が疲れることになる

・さらに、自分の主体性も失われる

・まず自分が今、どういう気持ちを感じているのか、ということを意識することが、大切である

・どんな大人でも、〈子ども心〉を持っている

・意図的に人を害するのでなければ、なるべく自分の気持ちや感情に忠実に生きる方が、楽しく生きることが出来る

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